日本人が聞こえる耳音
2014.04.17 Thursday
日 本人が聞こえる耳音 (小倉 朗 語録)
「古池や蛙飛びこむ水のおと」
「閑さや岩にしみ入蝉の声」
これらの俳句から、僕等は芭蕉の音に対する感性を窺い知ることができる。
そしてまたその感性は芭蕉の俳句を愛している僕等に通じ 芭蕉以前の古い日本の耳に通じているに相違ない。
それを一つの音に没入することの出来る耳あるいは閑寂の緊張を知る耳といっていいだろう。
それは近代音楽を生み出したヨーロッパの耳とも好んで打楽器の刺戟的な響きを打ち鳴らすたぐいの東洋の耳とも異なったある独自の感性を明かしている。
このことは梵鐘一つを見てもわかる通りで日本のように山に囲まれた土地の多い国では鐘の響きが霧のようにあたりに立ち込めうずを巻きながらゆっくりと無限の空間に吸い込まれていく。
寺男は、その消えていく頃合を見計らってまた次の鐘を打つのである。
それは非常にゆるやかなリズムをつくり鳴る鐘の音よりはむしろ余韻そのものを楽しむといった趣きがある。 俳句は直感の芸術といわれる。それは吹き過ぎる一瞬の風をとらえるように 閃く直感を捉えるということだ。
創造はすべて直感に始まるという理屈をこねずともこれはその通りに受けとって間違いあるまい。
日本人の音楽家たちの耳は 思うに余韻の消え去ったあとの「しじま」に音楽的な意味を見出した。
同じ長さの二本の手と二本の足その運動がつくり出す生活の中のリズムは 音楽のリズムの原型である。
農耕の歌は、農耕の運動のリズムによってきまりわらべうたもまた、毬つきやお手玉の早さを超えることはない。
日本の音楽がヨーロッパの音楽にきくアレグロやプレストを持たずおおむねきわめてゆっくりとしているのは単に日本語の性格によるばかりでなく日本の運動に大きな理由があるということである。
日本の管楽器のアタックはもう書いた通り「フー」とその濁音半濁音系の唇によるもので中でも最も弱いアタックすなわち静かに息を吹くだけで鳴らす「フー」は「ha」と同様唇まかせのものである。
それ故ヨーロッパの耳は「不確実」として斥けたが日本の耳は反対にその不確実さにある音楽的な意味を見出してきた。
これを武満徹が紹介したある尺八奏者の言葉でいえば「風が吹き抜けるようにして」鳴る音でそのアタックの性質から鳴り始めに必然的に生じる「無音の瞬間」にいうにいわれぬ思い入れやそれによって生じるある種の情緒を楽しむというふうがある。
一方、風俗習慣からくる相違をこれも封建社会の「男らしさ」「女らしさ」の概念に見れば男は主、女は従の精神的枠組のもとでおのずから男言葉、女言葉の区別が生じ音声も男は大、音の幅も広がり女は弱、音の幅も狭まっていた。
これにはもちろん生活、服装の相違もあずかっていてたとえばちょん髷、袴、あとは襷がけさえすれば切り合いも出来るという活動的な男の身なりに対して 今にして思えば気が遠くなるような髪のつくりや衣装における女の重装備。
しかもその装備のもとで奥に囲まれていた日常から男の腹式呼吸に対して 女が胸式呼吸の傾くのは当然でさらには喉からのあえぐような声になるわけである。
してみればある種の日本音楽にきく喉をつめたような女声特有の発声も あるいは紐や帯で締めつけられた胸や腹で歌うために発明されたものではあるまいかと思われる。
子供の耳は、恐らく7〜8歳ぐらいまでの間にそれら一切の音関係を心得 舌や唇にその運動を教え込んでしまう。
大人が、子供の耳が絶対音を覚え込むのを驚くのはほかならぬその鋭敏さで、いわば言葉の習得にひとまず卒業した大人の耳と子供の耳との相違。
しかもその耳は、楽才如何にかかわらず 構造的な音程とは比較を絶した微妙な音の運動を行う話し言葉の吸収にまさに驚異的に働いているのである。
(たとえば、声明の微分音的な音程を歌いこなすには小坊主からの修行が必要で、長じてそれを習う「大人の耳」はもっぱら平均律化した音程でしか歌えない、という指摘がある) 語り手が、もし一心に語りかけようとすればもっと多くの音をとるのが自然である。
もともと、日本古来の音楽は言葉から生まれたそのままの姿で行きつづけてきたのである。
これは今日でもその通りでたとえば、師匠は弟子たちに「決して歌おうとするな、語ろうと思えばおのずから歌になる」と教えている。 日本古来の音楽と近代ヨーロッパ音楽とはいわば水と油にある。
これは、こと和音構造の面に限ってみてもその通りでヨーロッパ音楽の充填された和音に対して日本音楽のそれは、洗練に向かうほど天と線の簡素な構造を指向する性質があることからもわかる。
従ってまた、それらの音楽は、五線に移せば嘘になる。 たとえば、五線譜のもとづいて歌われる「ほたるこい」は子供たちがわらべうたで歌う「ほたるこい」ではない。洋楽を対象として取りあげられるそれらの素材はその変質を認識した上で全く別の角度から把握するよりないのである。
ともあれヨーロッパの音楽はそういう耳に、理論的体系という客観的基盤を配した。 しかし日本古来の音楽には体系を所有する必然は本来なくおのずから伝承という鍛錬手段やあるいは言葉という自然への没入によって主観的な営みを客観化した。
ヨーロッパの音楽は、本来合唱の世界に属していた。
教会という祈りの場所で始まったこの音楽は言葉の音階がどうであれアーメンやキリエの交叉する響きをおのずから彼らの祈りにふさわしく七つの音に要約していったに相違ない。
しかし、日本古来の音楽は元来、ソロの世界に属していた。これは僧侶の合唱においてもその通りで彼らは、めいめいの声域にふさわしい音を選んで原則として、平行線を辿る一人一人の朗誦の同時的な響きをつくり出しているのである。
そしてまた、日本の音楽も叙事叙情を対象とする語りの世界に生き同時的に歌うときも声を合わせるというふうにしてつくられる斉唱の世界に属すものであった。
従って、そこに現われる対話もそれにふさわしく時間的に整理配列されて交叉することなくまた、語りの中に現われる他の声も「声色」という形態で処理されて今日に至った。
してみれば、かつての日本音楽がもう書いてきたような日本語の音韻の性格や 古い時代の審美感に叶う発声に従って矛盾なく五つの音の中に生きつづけてきたということもいささかの不思議はないのである。
いわば抑揚は階層に応じて二つの顔をもち特権、支配階級において強弱アクセント庶民階級において高低アクセントに傾いていたということが出来る。 尺八(篠笛も)の長い延音のあとのしめくくりの音を若い奏者はしっかりと拍の上で締めくくる
。けれども、年をとった奏者はそれだけの息が続かずおのずから締めくくる以前に音が消えてしまう、という。
確かにそういわれてみるとその通りで若者たちが歌う詩吟は鳴り終わりがむしろ強調されるくらいに派手であり年をとった僧侶や神官の延音にはそういう終わりは期待できない。
してみれば、理由は単に肉体的な事柄にとどまるということになりそうだが しかしその消えていく響きに「さび」を感じるということはあるだろう。 事実、謡はそのような鳴り終りの洗練によって独自の境地に達した。
外国人の脳は、音楽において「器楽曲・機械音・雑音」を処理するとともに 日本人の脳では言語脳に取り込まれる。
「母音・笑い声・泣き声・嘆き声・いびき・ハミング」及び「虫の音・鳥や獣の鳴き声」を処理し言語脳は「子音を含む音節<子音ー母音、子音ー母音ー子音ーまたは、それに似た音形>及び計算」を分担する 。
機能上のこの相違は日本語を母国語として十歳までの幼少期を過ごした人は 外国人でも日本型同様の時期を外国語を母国語とそて育った日本人は外国型をとることが確かめられている。
従って「遺伝子因子は否定され」日本型の脳は「母音が有意である日本語の理解と発語に最も適した単脳言語パターンへの定着」による、という観察が成り立つ。
実際、「不思議なことに・・・」というほかない結果だがそれはともかく、いわば外国の耳は虫の音を、丁度カチカチという時計の音ーーもちろんその音に良し悪しがあってかまわないーーのようにきき、日本の耳は、言葉と同様それに人間的な感情を移入してきく耳ということになるだろう。
これはすでに「日本の耳」の章で触れたような自然音に対する日本的感性と一致し母音の延音を愛する日本の耳や楽音に対する日本的態度すなわち延音や単一な音への没入あるいは尺八奏者にみたような無念無想を、裏付けている。
情緒的、気分的対象として音が捉えられるとき音楽はさまざまな段階において他の物音の介入を許す。
実際、尺八の音に松籟がふさわしくとも話し声は無用であろう。 そしてまた、琴に激しい夕立も無用である。
だが音頭や俗楽、祭りの囃子などはかなりの雑音にたえむしろしばしばそれを歓迎しさえする。
日本式の修業方式は、体験がまずさきで教科書はそれを補足する役割に置かれている。
当然、メモ程度のもので、こと足りるというわけだ。 日本古来の音楽にもこれと同じことがいえるだろう。
もともと「間」とか「節まわし」とかそういう微妙なものは到底ヨーロッパ式の記譜法で捉えられるものではない。
この体当り的な習得法を職人達は「盗む」という。
親方は口では教えてくれないからーーというのは、親方自身もそうして覚えてきたのだからーー親方の仕事からその技を盗むのである。「盗む」という言葉が これほど鮮やかな心情を表す例を、僕はほかに知らない。
それからみると、ヨーロッパ方式は実に懇切丁寧である。
体系化されているから生徒は芸心とはかかわりなく習得に熱心なかぎり体系に通じることだけは保証され教師もまた、巨匠名匠たらずとも教科書を「解読」する役目が果たせさえすれば教師としての資格をもつ。 そしてその相違はおのずから日本とヨーロッパの芸術のありようをかえていった。
たとえば、日本にはテクニシャンは生まれないがヨーロッパにはテクニシャンを生む土壌がある。 そしてまた、日本は体験という絆に結ばれて「伝承」の中に自からの形成を見出してきたがヨーロッパでは、体系を追ってその拡大や破壊を企てることが出来た。
だが、それ故どっちが本当でどっちが嘘というわけではあるまい。
大切なのはむしろ、ヨーロッパにおいてもすくなくとも巨匠たちは根本の態度においてつねに体験的であったということの方である。 実際、癖は他人に気にかかる。
けれども、自ら戒めてもつい表に出てしまう。治そうにもなかなか治せぬという厄介な性質でそういう癖をもとにした落語まであるがさて、それを高座で囃す囃子家にも癖があろう。
しかし、名人といわれる人たちは決して癖を癖と思わせない。
この秘密は、ほかでもなくそれが鍛え抜かれているということにある。
つまり、師匠に癖を叩かれ、自らもそれを叩きそういう永い修業のあげく 癖は、その人にしか求められない品質のものすなわち「味」「持ち味」にかわるのである。
古来、名人達人といわれる人たちは必ず欠点を長所にかえる秘訣を心得ているものだ。
熟達した能役者たちは恰も眼前の自然を前にして自らを形成する芸術家たちと同様「伝承」そのものを自然として自ら完成に向うのである。思うに、古典芸能の極意は、そのあたりにある。
「音を伝える和邦人」 音生
http://shinobue-wako.neosailand.com/ 篠笛サイト
自然の音 そして和楽器 和太鼓 篠笛
「古池や蛙飛びこむ水のおと」
「閑さや岩にしみ入蝉の声」
これらの俳句から、僕等は芭蕉の音に対する感性を窺い知ることができる。
そしてまたその感性は芭蕉の俳句を愛している僕等に通じ 芭蕉以前の古い日本の耳に通じているに相違ない。
それを一つの音に没入することの出来る耳あるいは閑寂の緊張を知る耳といっていいだろう。
それは近代音楽を生み出したヨーロッパの耳とも好んで打楽器の刺戟的な響きを打ち鳴らすたぐいの東洋の耳とも異なったある独自の感性を明かしている。
このことは梵鐘一つを見てもわかる通りで日本のように山に囲まれた土地の多い国では鐘の響きが霧のようにあたりに立ち込めうずを巻きながらゆっくりと無限の空間に吸い込まれていく。
寺男は、その消えていく頃合を見計らってまた次の鐘を打つのである。
それは非常にゆるやかなリズムをつくり鳴る鐘の音よりはむしろ余韻そのものを楽しむといった趣きがある。 俳句は直感の芸術といわれる。それは吹き過ぎる一瞬の風をとらえるように 閃く直感を捉えるということだ。
創造はすべて直感に始まるという理屈をこねずともこれはその通りに受けとって間違いあるまい。
日本人の音楽家たちの耳は 思うに余韻の消え去ったあとの「しじま」に音楽的な意味を見出した。
同じ長さの二本の手と二本の足その運動がつくり出す生活の中のリズムは 音楽のリズムの原型である。
農耕の歌は、農耕の運動のリズムによってきまりわらべうたもまた、毬つきやお手玉の早さを超えることはない。
日本の音楽がヨーロッパの音楽にきくアレグロやプレストを持たずおおむねきわめてゆっくりとしているのは単に日本語の性格によるばかりでなく日本の運動に大きな理由があるということである。
日本の管楽器のアタックはもう書いた通り「フー」とその濁音半濁音系の唇によるもので中でも最も弱いアタックすなわち静かに息を吹くだけで鳴らす「フー」は「ha」と同様唇まかせのものである。
それ故ヨーロッパの耳は「不確実」として斥けたが日本の耳は反対にその不確実さにある音楽的な意味を見出してきた。
これを武満徹が紹介したある尺八奏者の言葉でいえば「風が吹き抜けるようにして」鳴る音でそのアタックの性質から鳴り始めに必然的に生じる「無音の瞬間」にいうにいわれぬ思い入れやそれによって生じるある種の情緒を楽しむというふうがある。
一方、風俗習慣からくる相違をこれも封建社会の「男らしさ」「女らしさ」の概念に見れば男は主、女は従の精神的枠組のもとでおのずから男言葉、女言葉の区別が生じ音声も男は大、音の幅も広がり女は弱、音の幅も狭まっていた。
これにはもちろん生活、服装の相違もあずかっていてたとえばちょん髷、袴、あとは襷がけさえすれば切り合いも出来るという活動的な男の身なりに対して 今にして思えば気が遠くなるような髪のつくりや衣装における女の重装備。
しかもその装備のもとで奥に囲まれていた日常から男の腹式呼吸に対して 女が胸式呼吸の傾くのは当然でさらには喉からのあえぐような声になるわけである。
してみればある種の日本音楽にきく喉をつめたような女声特有の発声も あるいは紐や帯で締めつけられた胸や腹で歌うために発明されたものではあるまいかと思われる。
子供の耳は、恐らく7〜8歳ぐらいまでの間にそれら一切の音関係を心得 舌や唇にその運動を教え込んでしまう。
大人が、子供の耳が絶対音を覚え込むのを驚くのはほかならぬその鋭敏さで、いわば言葉の習得にひとまず卒業した大人の耳と子供の耳との相違。
しかもその耳は、楽才如何にかかわらず 構造的な音程とは比較を絶した微妙な音の運動を行う話し言葉の吸収にまさに驚異的に働いているのである。
(たとえば、声明の微分音的な音程を歌いこなすには小坊主からの修行が必要で、長じてそれを習う「大人の耳」はもっぱら平均律化した音程でしか歌えない、という指摘がある) 語り手が、もし一心に語りかけようとすればもっと多くの音をとるのが自然である。
もともと、日本古来の音楽は言葉から生まれたそのままの姿で行きつづけてきたのである。
これは今日でもその通りでたとえば、師匠は弟子たちに「決して歌おうとするな、語ろうと思えばおのずから歌になる」と教えている。 日本古来の音楽と近代ヨーロッパ音楽とはいわば水と油にある。
これは、こと和音構造の面に限ってみてもその通りでヨーロッパ音楽の充填された和音に対して日本音楽のそれは、洗練に向かうほど天と線の簡素な構造を指向する性質があることからもわかる。
従ってまた、それらの音楽は、五線に移せば嘘になる。 たとえば、五線譜のもとづいて歌われる「ほたるこい」は子供たちがわらべうたで歌う「ほたるこい」ではない。洋楽を対象として取りあげられるそれらの素材はその変質を認識した上で全く別の角度から把握するよりないのである。
ともあれヨーロッパの音楽はそういう耳に、理論的体系という客観的基盤を配した。 しかし日本古来の音楽には体系を所有する必然は本来なくおのずから伝承という鍛錬手段やあるいは言葉という自然への没入によって主観的な営みを客観化した。
ヨーロッパの音楽は、本来合唱の世界に属していた。
教会という祈りの場所で始まったこの音楽は言葉の音階がどうであれアーメンやキリエの交叉する響きをおのずから彼らの祈りにふさわしく七つの音に要約していったに相違ない。
しかし、日本古来の音楽は元来、ソロの世界に属していた。これは僧侶の合唱においてもその通りで彼らは、めいめいの声域にふさわしい音を選んで原則として、平行線を辿る一人一人の朗誦の同時的な響きをつくり出しているのである。
そしてまた、日本の音楽も叙事叙情を対象とする語りの世界に生き同時的に歌うときも声を合わせるというふうにしてつくられる斉唱の世界に属すものであった。
従って、そこに現われる対話もそれにふさわしく時間的に整理配列されて交叉することなくまた、語りの中に現われる他の声も「声色」という形態で処理されて今日に至った。
してみれば、かつての日本音楽がもう書いてきたような日本語の音韻の性格や 古い時代の審美感に叶う発声に従って矛盾なく五つの音の中に生きつづけてきたということもいささかの不思議はないのである。
いわば抑揚は階層に応じて二つの顔をもち特権、支配階級において強弱アクセント庶民階級において高低アクセントに傾いていたということが出来る。 尺八(篠笛も)の長い延音のあとのしめくくりの音を若い奏者はしっかりと拍の上で締めくくる
。けれども、年をとった奏者はそれだけの息が続かずおのずから締めくくる以前に音が消えてしまう、という。
確かにそういわれてみるとその通りで若者たちが歌う詩吟は鳴り終わりがむしろ強調されるくらいに派手であり年をとった僧侶や神官の延音にはそういう終わりは期待できない。
してみれば、理由は単に肉体的な事柄にとどまるということになりそうだが しかしその消えていく響きに「さび」を感じるということはあるだろう。 事実、謡はそのような鳴り終りの洗練によって独自の境地に達した。
外国人の脳は、音楽において「器楽曲・機械音・雑音」を処理するとともに 日本人の脳では言語脳に取り込まれる。
「母音・笑い声・泣き声・嘆き声・いびき・ハミング」及び「虫の音・鳥や獣の鳴き声」を処理し言語脳は「子音を含む音節<子音ー母音、子音ー母音ー子音ーまたは、それに似た音形>及び計算」を分担する 。
機能上のこの相違は日本語を母国語として十歳までの幼少期を過ごした人は 外国人でも日本型同様の時期を外国語を母国語とそて育った日本人は外国型をとることが確かめられている。
従って「遺伝子因子は否定され」日本型の脳は「母音が有意である日本語の理解と発語に最も適した単脳言語パターンへの定着」による、という観察が成り立つ。
実際、「不思議なことに・・・」というほかない結果だがそれはともかく、いわば外国の耳は虫の音を、丁度カチカチという時計の音ーーもちろんその音に良し悪しがあってかまわないーーのようにきき、日本の耳は、言葉と同様それに人間的な感情を移入してきく耳ということになるだろう。
これはすでに「日本の耳」の章で触れたような自然音に対する日本的感性と一致し母音の延音を愛する日本の耳や楽音に対する日本的態度すなわち延音や単一な音への没入あるいは尺八奏者にみたような無念無想を、裏付けている。
情緒的、気分的対象として音が捉えられるとき音楽はさまざまな段階において他の物音の介入を許す。
実際、尺八の音に松籟がふさわしくとも話し声は無用であろう。 そしてまた、琴に激しい夕立も無用である。
だが音頭や俗楽、祭りの囃子などはかなりの雑音にたえむしろしばしばそれを歓迎しさえする。
日本式の修業方式は、体験がまずさきで教科書はそれを補足する役割に置かれている。
当然、メモ程度のもので、こと足りるというわけだ。 日本古来の音楽にもこれと同じことがいえるだろう。
もともと「間」とか「節まわし」とかそういう微妙なものは到底ヨーロッパ式の記譜法で捉えられるものではない。
この体当り的な習得法を職人達は「盗む」という。
親方は口では教えてくれないからーーというのは、親方自身もそうして覚えてきたのだからーー親方の仕事からその技を盗むのである。「盗む」という言葉が これほど鮮やかな心情を表す例を、僕はほかに知らない。
それからみると、ヨーロッパ方式は実に懇切丁寧である。
体系化されているから生徒は芸心とはかかわりなく習得に熱心なかぎり体系に通じることだけは保証され教師もまた、巨匠名匠たらずとも教科書を「解読」する役目が果たせさえすれば教師としての資格をもつ。 そしてその相違はおのずから日本とヨーロッパの芸術のありようをかえていった。
たとえば、日本にはテクニシャンは生まれないがヨーロッパにはテクニシャンを生む土壌がある。 そしてまた、日本は体験という絆に結ばれて「伝承」の中に自からの形成を見出してきたがヨーロッパでは、体系を追ってその拡大や破壊を企てることが出来た。
だが、それ故どっちが本当でどっちが嘘というわけではあるまい。
大切なのはむしろ、ヨーロッパにおいてもすくなくとも巨匠たちは根本の態度においてつねに体験的であったということの方である。 実際、癖は他人に気にかかる。
けれども、自ら戒めてもつい表に出てしまう。治そうにもなかなか治せぬという厄介な性質でそういう癖をもとにした落語まであるがさて、それを高座で囃す囃子家にも癖があろう。
しかし、名人といわれる人たちは決して癖を癖と思わせない。
この秘密は、ほかでもなくそれが鍛え抜かれているということにある。
つまり、師匠に癖を叩かれ、自らもそれを叩きそういう永い修業のあげく 癖は、その人にしか求められない品質のものすなわち「味」「持ち味」にかわるのである。
古来、名人達人といわれる人たちは必ず欠点を長所にかえる秘訣を心得ているものだ。
熟達した能役者たちは恰も眼前の自然を前にして自らを形成する芸術家たちと同様「伝承」そのものを自然として自ら完成に向うのである。思うに、古典芸能の極意は、そのあたりにある。
「音を伝える和邦人」 音生
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自然の音 そして和楽器 和太鼓 篠笛
音による癒し 心への影響
2014.04.16 Wednesday
牧野 持侑 語録 第一章 要約
音による癒し 心への影響
この世にある全てのもの、微小な分子から大宇宙にいたるまで、動くものは全て振動しており、振動している間は特有の音を出しています。
人が聞こえる耳の能力は、毎秒20Hzから20000Hz間の振動音まで聞く事が出来ますが、現代人、特に都会の方々は聴く能力はいちじるしく減退、雑音に消され生活の中で聴く音域が減ることによる音を聞く能力が低下しているのです。
自然環境豊かな地域の住人は、さまざまな周波数の音を絶えず耳にしています。
このため聴く能力は減退することがないと言われています。
人間の聞く能力は20000Hz近辺の音までしか聴こえないのですが、犬をはじめとする動物たちの可聴能力は何万、何十万Hzにまで聴く事ができるので、「音」に満たされた世界なのだと思います。
多くの文明や宗教では「音」を深く尊び、「宇宙の本質」とも呼びました。
ヒンドゥー思想では、「宇宙の最初の動きが“AUM・オーム”という音を創造するまで、宇宙は暗黒、無音の世界であり、そのAUM音こそが創造の母の音(母音)であり、他のあらゆる音の振動数を内包するMother Tone、音の根源であった」と認識しています。
さまざまな楽器や肉声を使った「音による癒し」は世界中で今でも数多くの方法が残されています。
神や仏、聖霊など超越的な力との霊的交流を深めるために、マントラやチャンティングは何千年も前から使われてきていますし、日本でも神道や仏教の祝詞、お経、真言などの伝統の中に色濃く残されています。
「音」は私たちの自律神経や免疫体、内分泌や神経系の各組織に多大なる影響と変化を及ぼすという科学的研究データは多数報告されています。
ミッチェル・ゲイナー医師(コーネル大学医学校付属ニューヨーク病院ストラングがん予防センターの腫瘍科科長および統合医療プログラム所長)は、著書「音はなぜ癒すのか」の中で、クリスタルボウルをはじめとする振動性音響の心身への影響、そして音による心身のバランス・統合法を、医学的見地からのみならず、東洋の精神的・霊的な伝統を多く取り入れたユニークな方法で紹介しています。
この本は、音や振動性音響への理解度を深めるとともに、実践のノウハウを科学的、霊的見地より解説した、実に多くの学びと気づきを与えてくれる推奨本です。ゲーナー医師は次のように述べています。
「私は、これほど有益でありながら人に知られていない「音というくすり」は、現代医学であろうと相補医療であろうと、取り入れるべきだと考えています」「聴覚刺激の生理学的作用を、つい軽視してしまいがちです。
しかし、音を活用する治療はいずれ、多くの医師や治療かにとって標準的なものになるだろうと確信しています」と語っています。
われわれは生まれる以前から音に包まれています。
人間の胎児は妊娠3週目で、やがて耳となる器官の原型をつくりはじめる。
そして子宮の中で、たえず母親の心音をききながら9ヶ月間を過ごします。だからこそ、新生児に1分間72拍の心音をきかせると落ち着き、120拍の心音をきかせると、「むずがり」はじめるのです。
空港のすぐそばに住む妊婦の産んだ赤ん坊が、対照群の赤ん坊よりも未発達であることの研究や、分娩から72時間以内の新生児でも母親の声を認識し、反応することを立証する研究もあります,
音は直接からだに作用するだけでなく、感情レベル、思考レベル、霊的レベルに深く触れ、その人を変容させることによって、結果的にからだに作用するという効果をもたらします。
多くの方がすぐれたクラシック音楽をききながら、高揚であれ悲哀であれ、深い感動を覚えた経験を持っています。
喜びや悲しみのあまり涙を流すことさえあり、たとえ一時的ではあっても日ごろの悩みを忘れて、すがすがしい気分になることができるのです。
とすれば、純粋な音そのものが存在のもっとも深いレベルで癒しをもたらしたとしても、別に不思議なことではありません。
音の優位性は、その治療効果によって明らかになっています。音は生理機能のすべてのレベルに働きかけ、そのバランスを調整する作用があるので、事実上、どんな症状や病気にも有効だと考えられます。
クリスタルボウルなどの素晴らしい楽器からの音源は、その響きによって治癒力を刺激するさまざまな方法の一例にすぎませんが、それらの作用には共通するいくつかの原理が働いています。
「詠唱、音楽を聴く、鐘やハンドベルの音、ドラや太鼓の音、笛の音、声を出す」などの音も私達の体に同様に作用しています。
中でも重要な原理は「調和を指向する傾向」が生命に普遍的なルールであること
病気は体内の不調和のあらわれ、細胞または特定の器官、たとえば心臓や肺におけるバランス失調のあらわれです。とすれば、共鳴という特性を持っているクリスタルボウルは、それを奏で、それに耳をかたむける人に「宇宙交響曲」へのアクセスをうながすだけでなく、その人のからだと心に調和を回復させる作用があると考えられます。
詠唱が脳波を深いリラクゼーション状態に導くという臨床的経験は、多くの研究によって裏づけられています。
私だけでなく、多くのヒーラーが、「治癒はからだの調和が失われた部分−したがって病んだ部分−に正常な周波数の振動を回復させることによって達成できると信じています。
音は振動であり、その振動がからだの内外を微細に震わせている以上、その音は耳を介してだけでなく、全身の細胞をつうじて「きこえている」と考えなければなりません。
クリスタルボウルに同調する声の響きもまた、その人の存在全体に浸透しています。脈はゆったりと打ち、呼吸は正常なリズムを保っていきます。
そのとき人は、静穏な、瞑想的なまなざしで自己のいのちを見つめることができる一種の変性意識状態に入っているのです。
音は私達の体に大きな役割が有る事がお分かりになったでしょうか。是非素晴らしい音楽や自然音を楽しんで頂きたいと思います。
音を伝える和邦人
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自然の音 和太鼓 篠笛
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音による癒し 心への影響
この世にある全てのもの、微小な分子から大宇宙にいたるまで、動くものは全て振動しており、振動している間は特有の音を出しています。
人が聞こえる耳の能力は、毎秒20Hzから20000Hz間の振動音まで聞く事が出来ますが、現代人、特に都会の方々は聴く能力はいちじるしく減退、雑音に消され生活の中で聴く音域が減ることによる音を聞く能力が低下しているのです。
自然環境豊かな地域の住人は、さまざまな周波数の音を絶えず耳にしています。
このため聴く能力は減退することがないと言われています。
人間の聞く能力は20000Hz近辺の音までしか聴こえないのですが、犬をはじめとする動物たちの可聴能力は何万、何十万Hzにまで聴く事ができるので、「音」に満たされた世界なのだと思います。
多くの文明や宗教では「音」を深く尊び、「宇宙の本質」とも呼びました。
ヒンドゥー思想では、「宇宙の最初の動きが“AUM・オーム”という音を創造するまで、宇宙は暗黒、無音の世界であり、そのAUM音こそが創造の母の音(母音)であり、他のあらゆる音の振動数を内包するMother Tone、音の根源であった」と認識しています。
さまざまな楽器や肉声を使った「音による癒し」は世界中で今でも数多くの方法が残されています。
神や仏、聖霊など超越的な力との霊的交流を深めるために、マントラやチャンティングは何千年も前から使われてきていますし、日本でも神道や仏教の祝詞、お経、真言などの伝統の中に色濃く残されています。
「音」は私たちの自律神経や免疫体、内分泌や神経系の各組織に多大なる影響と変化を及ぼすという科学的研究データは多数報告されています。
ミッチェル・ゲイナー医師(コーネル大学医学校付属ニューヨーク病院ストラングがん予防センターの腫瘍科科長および統合医療プログラム所長)は、著書「音はなぜ癒すのか」の中で、クリスタルボウルをはじめとする振動性音響の心身への影響、そして音による心身のバランス・統合法を、医学的見地からのみならず、東洋の精神的・霊的な伝統を多く取り入れたユニークな方法で紹介しています。
この本は、音や振動性音響への理解度を深めるとともに、実践のノウハウを科学的、霊的見地より解説した、実に多くの学びと気づきを与えてくれる推奨本です。ゲーナー医師は次のように述べています。
「私は、これほど有益でありながら人に知られていない「音というくすり」は、現代医学であろうと相補医療であろうと、取り入れるべきだと考えています」「聴覚刺激の生理学的作用を、つい軽視してしまいがちです。
しかし、音を活用する治療はいずれ、多くの医師や治療かにとって標準的なものになるだろうと確信しています」と語っています。
われわれは生まれる以前から音に包まれています。
人間の胎児は妊娠3週目で、やがて耳となる器官の原型をつくりはじめる。
そして子宮の中で、たえず母親の心音をききながら9ヶ月間を過ごします。だからこそ、新生児に1分間72拍の心音をきかせると落ち着き、120拍の心音をきかせると、「むずがり」はじめるのです。
空港のすぐそばに住む妊婦の産んだ赤ん坊が、対照群の赤ん坊よりも未発達であることの研究や、分娩から72時間以内の新生児でも母親の声を認識し、反応することを立証する研究もあります,
音は直接からだに作用するだけでなく、感情レベル、思考レベル、霊的レベルに深く触れ、その人を変容させることによって、結果的にからだに作用するという効果をもたらします。
多くの方がすぐれたクラシック音楽をききながら、高揚であれ悲哀であれ、深い感動を覚えた経験を持っています。
喜びや悲しみのあまり涙を流すことさえあり、たとえ一時的ではあっても日ごろの悩みを忘れて、すがすがしい気分になることができるのです。
とすれば、純粋な音そのものが存在のもっとも深いレベルで癒しをもたらしたとしても、別に不思議なことではありません。
音の優位性は、その治療効果によって明らかになっています。音は生理機能のすべてのレベルに働きかけ、そのバランスを調整する作用があるので、事実上、どんな症状や病気にも有効だと考えられます。
クリスタルボウルなどの素晴らしい楽器からの音源は、その響きによって治癒力を刺激するさまざまな方法の一例にすぎませんが、それらの作用には共通するいくつかの原理が働いています。
「詠唱、音楽を聴く、鐘やハンドベルの音、ドラや太鼓の音、笛の音、声を出す」などの音も私達の体に同様に作用しています。
中でも重要な原理は「調和を指向する傾向」が生命に普遍的なルールであること
病気は体内の不調和のあらわれ、細胞または特定の器官、たとえば心臓や肺におけるバランス失調のあらわれです。とすれば、共鳴という特性を持っているクリスタルボウルは、それを奏で、それに耳をかたむける人に「宇宙交響曲」へのアクセスをうながすだけでなく、その人のからだと心に調和を回復させる作用があると考えられます。
詠唱が脳波を深いリラクゼーション状態に導くという臨床的経験は、多くの研究によって裏づけられています。
私だけでなく、多くのヒーラーが、「治癒はからだの調和が失われた部分−したがって病んだ部分−に正常な周波数の振動を回復させることによって達成できると信じています。
音は振動であり、その振動がからだの内外を微細に震わせている以上、その音は耳を介してだけでなく、全身の細胞をつうじて「きこえている」と考えなければなりません。
クリスタルボウルに同調する声の響きもまた、その人の存在全体に浸透しています。脈はゆったりと打ち、呼吸は正常なリズムを保っていきます。
そのとき人は、静穏な、瞑想的なまなざしで自己のいのちを見つめることができる一種の変性意識状態に入っているのです。
音は私達の体に大きな役割が有る事がお分かりになったでしょうか。是非素晴らしい音楽や自然音を楽しんで頂きたいと思います。
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自然の音 和太鼓 篠笛
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魂の音とは
2014.04.14 Monday
魂の音とは
魂の音とはどのようなものでしょうか。
ヨーガ瞑想法のひとつに、「ナーダ音観想法」と言うものが有るのをご存知ですか。
体内の奥底からの「魂の音」を聴く方法です。
この方法は、静かな呼吸と共に、内側に聞こえる音に意識を向けます。
業を続けていくにつれ、やがてフルートのような音が聞こえ始め、ついには金属的なひとすじの精妙で美しい音が聞こえてきます。
詳しくはこうです。
まず、ムクタ座(左右のかかとを性器の下で重ねる)で座ります。
耳、目、鼻、口を両手の指でふさぎます。右の耳でスシュムナー管の音を聴きます。
この音は4段階で深まります。
「アーランバ段階」
心臓にある梵天の結節が破れ、心臓のアナーハタ・チャクラの音が聴こえ、気が満ちます。
「ガタ段階」
気は音と合体し、喉のヴィシュダ・チャクラに上昇し、ここにあるヴィシュヌ結節(スシュムナー管のつまり)が破れ、歓喜を予示する音と太鼓のような音が起こります。
「バリチャヤ段階」
眉間のアジナー・チャクラで鼓の音がし、アートマンの歓喜が現れます。
「ニシバティ段階」
眉間にあるルドラ結節が破れ、シヴァの座に達し、フルートやヴィーナーのような音が聴こえます。
バンスリー
これが魂から響いてくる音(ナーダ)です。
この音を聴いてれば、心身が正常化され、あらゆる罪業が消滅すると言われています。
古代インドでは人間の耳には聴こえない音が宇宙を流れていると考えられてきました。
「神は音なり」といわれ、世界は振動しており、音に満ちています。
宇宙や生命の根源、言葉や音楽の起源である「音」こそが「神」であるとされ、
量子論の父 マックス・プランク博士も「全ては振動であり、その影響である。
現実には何の物質も存在しない。」と断言されていることからも「音」が一切の存在の基であるとする原理から来ています。
この音をヨーガ行者がキャッチして、人が発音しやすいようにしたものが
AUM(オーム)に代表されるマントラ(真言)です。
音を伝える和邦人 音生
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自然の音 そして和楽器 和太鼓 篠笛
魂の音とはどのようなものでしょうか。
ヨーガ瞑想法のひとつに、「ナーダ音観想法」と言うものが有るのをご存知ですか。
体内の奥底からの「魂の音」を聴く方法です。
この方法は、静かな呼吸と共に、内側に聞こえる音に意識を向けます。
業を続けていくにつれ、やがてフルートのような音が聞こえ始め、ついには金属的なひとすじの精妙で美しい音が聞こえてきます。
詳しくはこうです。
まず、ムクタ座(左右のかかとを性器の下で重ねる)で座ります。
耳、目、鼻、口を両手の指でふさぎます。右の耳でスシュムナー管の音を聴きます。
この音は4段階で深まります。
「アーランバ段階」
心臓にある梵天の結節が破れ、心臓のアナーハタ・チャクラの音が聴こえ、気が満ちます。
「ガタ段階」
気は音と合体し、喉のヴィシュダ・チャクラに上昇し、ここにあるヴィシュヌ結節(スシュムナー管のつまり)が破れ、歓喜を予示する音と太鼓のような音が起こります。
「バリチャヤ段階」
眉間のアジナー・チャクラで鼓の音がし、アートマンの歓喜が現れます。
「ニシバティ段階」
眉間にあるルドラ結節が破れ、シヴァの座に達し、フルートやヴィーナーのような音が聴こえます。
バンスリー
これが魂から響いてくる音(ナーダ)です。
この音を聴いてれば、心身が正常化され、あらゆる罪業が消滅すると言われています。
古代インドでは人間の耳には聴こえない音が宇宙を流れていると考えられてきました。
「神は音なり」といわれ、世界は振動しており、音に満ちています。
宇宙や生命の根源、言葉や音楽の起源である「音」こそが「神」であるとされ、
量子論の父 マックス・プランク博士も「全ては振動であり、その影響である。
現実には何の物質も存在しない。」と断言されていることからも「音」が一切の存在の基であるとする原理から来ています。
この音をヨーガ行者がキャッチして、人が発音しやすいようにしたものが
AUM(オーム)に代表されるマントラ(真言)です。
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自然の音 そして和楽器 和太鼓 篠笛
日本の音楽楽器
2014.04.10 Thursday
日本の伝統的な音楽楽器
代表的な日本の楽器を紹介します。具体的に上げるとかなりたくさん有るのに気づきます。
太鼓(たいこ)撥(ばち)を持ち打って鳴らします。かなり大きな音がでます。
尺八(しゃくはち)竹でできた縦笛で、長さが約54.5センチ程度の笛です。とても渋い音で幻想的な竹の音が魅力です。
しの笛(しのぶえ)竹でできた横笛です。祭り囃子や童謡など幅広く演奏出来ます。澄んだ音色が魅力的です。
三味線(しゃみせん)3本の弦がある楽器です。三味線音楽、浄瑠璃(じょうるり)などで使用します。
竜笛(りゅうてき)竹製の横笛で音色が「舞い立ち昇る龍の鳴き声」とたとえられ、雅楽で使われます。
篳篥(ひちりき)竹製のたて笛で約18センチほどの小さな笛ですが大きな音がでます。雅楽で使われています。
笙(しょう)竹と木でできた和音をふくための笛で息を吸ったりはいたりして音を出します。雅楽で使われています。
鼓(つつみ)打楽器。皮がはってあり、手で打って鳴らします。
能管(のう)、歌舞伎(かぶき)などで活躍しています。
ここで上げあげた日本の楽器以外にも、まだまだたくさんの民族楽器が有りますが、これらの楽器は地方の特殊性と伝統性があり少しずつ違っています。郷土芸能や民俗舞踏などでよく見かけますのでご覧になってください。
民族楽器の良さ深さを実感するには、こうした音楽に触れる事が大切です。日本の音楽は、劇や舞踊のように見せる音楽が多いのも特徴で、人形劇や歌舞伎などがこれにあたります。
芸能音楽は、一般に古くさいもの、つまらないものと思われがちで、元来、日本人に非常に受け入れやすく、リズムや音色がとても私達に合っています。
日本人が受け継いできた潮流のようなもの、季節感や生活感とも、なじみが良く我々が求めているエネルギーのある音楽であると思います。
民俗音楽は、その殆どが江戸中期以降に伝えられたもの、この中でもお祭りを盛り上げてくれる、素朴なお囃子の笛や太鼓の音は格別のものが有ります。
こうした魅力のある音楽の演奏は大人ばかりでなく、子供にも、体験してもらいたいと思います。
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代表的な日本の楽器を紹介します。具体的に上げるとかなりたくさん有るのに気づきます。
太鼓(たいこ)撥(ばち)を持ち打って鳴らします。かなり大きな音がでます。
尺八(しゃくはち)竹でできた縦笛で、長さが約54.5センチ程度の笛です。とても渋い音で幻想的な竹の音が魅力です。
しの笛(しのぶえ)竹でできた横笛です。祭り囃子や童謡など幅広く演奏出来ます。澄んだ音色が魅力的です。
三味線(しゃみせん)3本の弦がある楽器です。三味線音楽、浄瑠璃(じょうるり)などで使用します。
竜笛(りゅうてき)竹製の横笛で音色が「舞い立ち昇る龍の鳴き声」とたとえられ、雅楽で使われます。
篳篥(ひちりき)竹製のたて笛で約18センチほどの小さな笛ですが大きな音がでます。雅楽で使われています。
笙(しょう)竹と木でできた和音をふくための笛で息を吸ったりはいたりして音を出します。雅楽で使われています。
鼓(つつみ)打楽器。皮がはってあり、手で打って鳴らします。
能管(のう)、歌舞伎(かぶき)などで活躍しています。
ここで上げあげた日本の楽器以外にも、まだまだたくさんの民族楽器が有りますが、これらの楽器は地方の特殊性と伝統性があり少しずつ違っています。郷土芸能や民俗舞踏などでよく見かけますのでご覧になってください。
民族楽器の良さ深さを実感するには、こうした音楽に触れる事が大切です。日本の音楽は、劇や舞踊のように見せる音楽が多いのも特徴で、人形劇や歌舞伎などがこれにあたります。
芸能音楽は、一般に古くさいもの、つまらないものと思われがちで、元来、日本人に非常に受け入れやすく、リズムや音色がとても私達に合っています。
日本人が受け継いできた潮流のようなもの、季節感や生活感とも、なじみが良く我々が求めているエネルギーのある音楽であると思います。
民俗音楽は、その殆どが江戸中期以降に伝えられたもの、この中でもお祭りを盛り上げてくれる、素朴なお囃子の笛や太鼓の音は格別のものが有ります。
こうした魅力のある音楽の演奏は大人ばかりでなく、子供にも、体験してもらいたいと思います。
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音としての言葉 外国語と日本語の音
2014.04.04 Friday
音としての言葉 外国語と日本語の音
音を伝える和邦人 音生
音としての言葉 外国語と日本語
英語と日本語の音の違い!
世界で話されてる言語はたくさん有りますが、各、言語毎に、それぞれ、固有の周波数の幅を持っています。
それによると、日本語は、世界でも最も低い周波数を持つ言語とされています。それに対し英語は、世界で最も高い周波数を持つ言語です。
この周波数とは、例えば100HZ(ヘルツ)というのは1秒間に100回振動するということで、その振動毎の音が耳に伝わり聴覚神経を通って脳に入り、何の音かを認識するのです。
人間が聞き取れる周波数は、約16Hz〜2000Hzぐらいです。それ以上高い音は通常の人は認識できません。また16HZ以下の音も同様聞こえません。これは耳自体の機能の限界と、脳が音を聞き分ける能力によるものです。
日本語は125HZから1600HZであると言われています。一方英語は2000HZ〜12000HZの周波数で話されています。
周波数上は、日本語と英語の音は、全く異なる帯域の周波数です。クラシック音楽の中に英語の高い周波数の音とよく似た音がたくさん含まれていることが、最近、分かってきました。モーツァルトを聞くと高い周波数の音が良く聞き取れるようになるという説もあります。
周波数というのはある一定のサイクルを持つ振動数の事です。音声の場合は母音がこれに当たります。子音は雑音が多く安定した周波数がありませんがそれなりの周波数領域をもっています。
音を聞く能力、聞きとれる能力と発音する能力や話す能力には極めて相関性があります。 音痴な人は音を聞く能力が弱いとも言えます。ですから音の高さ低さを正確に聞き取れないため、自ら歌おうとしても正確に音を出せなく、結果音痴になってしまうのではないでしょうか。
英語も同様に英語の音を聞き取れないと、うまく発音できません。正しい発音ができれば、英語耳が獲得でき、100%の聞き取りが可能となります。実は英会話の勉強とは音を学ぶ勉強と言っても過言ではありません。
この英語の周波数帯域の音を獲得するには生後10歳とか11歳ぐらいまでに、たくさんの音域のある音を耳に入れておくのが、一番良いとされています。
幼児のうちに鍛えられた聞く耳の能力は消え去ることはありません。
幼児の頃は生きるために備わった五感が鋭く、生きるため、音に対し自然に敏感になり、脳に音を刻み込む力があると思います。
勿論、大人になってからでもある程度訓練により鍛えることが可能です。
とにかく、日本語と英語は、全く音域が交わらないので音の訓練が重要なのです。
高い帯域の周波数帯域の音まで聞きなれて育っていない日本人は英語の音が聞き取りにくいのは当たり前のことです。
英語を初めとする欧米系の言語は、一様に日本語固有の周波数幅をはるかに越える高い周波数帯を使用しているため、日本人にはそれらの言語がうまく聞き取れません。
大脳言語野の細胞はその固有の音の幅内の音しか言語として認識しないため、それ以下あるいはそれ以上の周波数の音が聞こえても、それらの音は聴覚野で言語以外の単なる音として仕分けされて、言語野以外の感覚野に送られてしまうのです。
発音について!
英語の高い周波数を控えて発音すると、とても聞きやすくなります。
実際には日本語のように必ず母音が来ないため子音の音に慣れる必要が有ります。
したがって、語学では、聞くことができた音を何回も発音し、まねて音を出します。
まず聞ける耳を持ち、次に其の音を発音し、意味のある音を認識できる脳を持つこと、が大切になります。
英語の周波数帯を聞き慣れない日本人にとって、英語は脳が“雑音”として処理し
てしまわないよう何度も聞き、その音を出す工夫が必要です。
また、周波数帯が、英語と日本語で大きく違うので、英語と日本語では発声方法も全く異なってきます。
日本人にとって、2000HZ以上の言葉とは、風の音、物が擦れたり空気が漏れたりする時の音のように聞こえ、少なくとも脳が、言葉として処理する音ではありません。
実際、英語の子音を発音するときは、歯で唇を噛み、そこから強い息を漏らして
発音するものなど、「フッ」「シュ」「ドゥ」といった、乾いた鋭い音で発音され
ます。
短い子音を強く発音する英語の音の幅は、2000Hz〜16000Hz、母音の多い日本語は125Hz〜1500Hz近辺です。
即ち、英語の場合はソプラノ以上のキンキン声の2000Hz以上の周波数の音声に言葉としての意味があり、日本語は1500Hz以下の周波数の音声に言葉としての意味がある事になります。
この様な事で、日本語と英語の間には言語として音の音域には大きな溝が有ります。
言いかえれば、日本人は低音で発音し、英国人は高音で発音するようなものです。これでは、日本人が容易に英語を発音したり、聞きとったりできません。
英語ばかりでなく、世界には数多くの言語がありますが、各民族の話す言語にはそれぞれ固有の周波数帯(音域)が存在します。
ロシア語は125〜8000Hzという広い周波数帯を使っているとさせています。
ロシア人は外国語に堪能になる素質があるそうです。 実際、ロシア語を話す人達の中には、数か国語をマスターした人達が数多くいます。
中国語の周波数帯はアメリカ英語に比較的類似しており、その点では中国人の方が日本人より英語の上達が早いと思われます。
本来、人間はどんな周波数の音でも認識するのに必要な種類の細胞をすべて持って生まれてきますが、残念ながら、誕生後2年位までの間に頻繁に耳にする言語の周波数帯に反応する細胞を残して、他はすべて消滅してしまいます。
幼児期に死滅してしまった細胞が復活することは残念ながらありませんが、その後でも訓練を重ねることにより、別の種類の神経ネットワークが形成され、そのネットワークが死滅した細胞を担うはずであった機能を代替してくれます。
外国語の発音能力と聞き取り能力向上のためには、まずは聞き取り訓練を長時間かけて繰り返し行い、新たなネットワークを形成させて、聞き取り訓練と正しい発音を強化していく事がとても大切です。
また、前述したように、クラシック音楽には英語の高い周波数の音とよく似た音が沢山含まれていることが分かっており、モーツァルトなどを聞くと英語が上達するかもしれません。
日本人も生まれつき2000HZ以上の言葉を聞き取りにくいのかと言えば、そうではなく、先ほど述べたように年齢とともに必要のない高周波の音を聞き取れなくなってきます。
ですから、毎日、歯を食いしばって忍耐で英語を聞き続けるのは、かなり苦しい作業になります。
この周波数の問題を克服することによって英語学習、特にリスニングは、負担をかなり減らすことができるはずです。
英語の音声は,語音の特徴(子音,母音など)と韻律的特徴アクセン
ト,イントネーション,リズム,(ポーズ)に分けて捉えることができます。
言葉としてのリズム!
語学をマスターするのに忘れてはいけないのが音楽と同等「リズム」があります。
単語1つ1つにリズムがあるわけで、それが文章になれば当然、音楽の時に言う「リズム」です。
個々の発音はそのリズムを形作る基礎として非常に重要です。
いくらRやTHやLの発音が完璧にできても、リズムが捉えられなければ音楽と同等歌にも言葉にもならず意味が有りません。
たとえ片言を並べてなんとか意志疎通を図ろうというレベルであっても、まず単語自体を理解してもらえなければどうにもなりません。
そして単語を理解してもらうのは、発音の正確さで聞き取りの基礎としてという意味合いも含め、THなど日本語にない発音を認識する必要があります。
個々の発音はそのリズムを形作る基礎として非常に重要ですが、やはり、RやTHやLのリズムパターンに慣れてくると、飛躍的に聞き取り能力も向上するし、英文を覚えるのも格段に楽になってきます。
遠回りに思えても、まずは英語のリズムを初心者のうちから身体にたたき込むのが、結局は学習のスピードを向上することになります。
単語1つ1つにリズムがあるわけで、それが文章になれば当然、もっと複雑なリズムパターンが生まれてきます。
是非会話をする時、英語を聴くとき、は音域と共にこのリズムも意識してみてください。
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音としての言葉 外国語と日本語
英語と日本語の音の違い!
世界で話されてる言語はたくさん有りますが、各、言語毎に、それぞれ、固有の周波数の幅を持っています。
それによると、日本語は、世界でも最も低い周波数を持つ言語とされています。それに対し英語は、世界で最も高い周波数を持つ言語です。
この周波数とは、例えば100HZ(ヘルツ)というのは1秒間に100回振動するということで、その振動毎の音が耳に伝わり聴覚神経を通って脳に入り、何の音かを認識するのです。
人間が聞き取れる周波数は、約16Hz〜2000Hzぐらいです。それ以上高い音は通常の人は認識できません。また16HZ以下の音も同様聞こえません。これは耳自体の機能の限界と、脳が音を聞き分ける能力によるものです。
日本語は125HZから1600HZであると言われています。一方英語は2000HZ〜12000HZの周波数で話されています。
周波数上は、日本語と英語の音は、全く異なる帯域の周波数です。クラシック音楽の中に英語の高い周波数の音とよく似た音がたくさん含まれていることが、最近、分かってきました。モーツァルトを聞くと高い周波数の音が良く聞き取れるようになるという説もあります。
周波数というのはある一定のサイクルを持つ振動数の事です。音声の場合は母音がこれに当たります。子音は雑音が多く安定した周波数がありませんがそれなりの周波数領域をもっています。
音を聞く能力、聞きとれる能力と発音する能力や話す能力には極めて相関性があります。 音痴な人は音を聞く能力が弱いとも言えます。ですから音の高さ低さを正確に聞き取れないため、自ら歌おうとしても正確に音を出せなく、結果音痴になってしまうのではないでしょうか。
英語も同様に英語の音を聞き取れないと、うまく発音できません。正しい発音ができれば、英語耳が獲得でき、100%の聞き取りが可能となります。実は英会話の勉強とは音を学ぶ勉強と言っても過言ではありません。
この英語の周波数帯域の音を獲得するには生後10歳とか11歳ぐらいまでに、たくさんの音域のある音を耳に入れておくのが、一番良いとされています。
幼児のうちに鍛えられた聞く耳の能力は消え去ることはありません。
幼児の頃は生きるために備わった五感が鋭く、生きるため、音に対し自然に敏感になり、脳に音を刻み込む力があると思います。
勿論、大人になってからでもある程度訓練により鍛えることが可能です。
とにかく、日本語と英語は、全く音域が交わらないので音の訓練が重要なのです。
高い帯域の周波数帯域の音まで聞きなれて育っていない日本人は英語の音が聞き取りにくいのは当たり前のことです。
英語を初めとする欧米系の言語は、一様に日本語固有の周波数幅をはるかに越える高い周波数帯を使用しているため、日本人にはそれらの言語がうまく聞き取れません。
大脳言語野の細胞はその固有の音の幅内の音しか言語として認識しないため、それ以下あるいはそれ以上の周波数の音が聞こえても、それらの音は聴覚野で言語以外の単なる音として仕分けされて、言語野以外の感覚野に送られてしまうのです。
発音について!
英語の高い周波数を控えて発音すると、とても聞きやすくなります。
実際には日本語のように必ず母音が来ないため子音の音に慣れる必要が有ります。
したがって、語学では、聞くことができた音を何回も発音し、まねて音を出します。
まず聞ける耳を持ち、次に其の音を発音し、意味のある音を認識できる脳を持つこと、が大切になります。
英語の周波数帯を聞き慣れない日本人にとって、英語は脳が“雑音”として処理し
てしまわないよう何度も聞き、その音を出す工夫が必要です。
また、周波数帯が、英語と日本語で大きく違うので、英語と日本語では発声方法も全く異なってきます。
日本人にとって、2000HZ以上の言葉とは、風の音、物が擦れたり空気が漏れたりする時の音のように聞こえ、少なくとも脳が、言葉として処理する音ではありません。
実際、英語の子音を発音するときは、歯で唇を噛み、そこから強い息を漏らして
発音するものなど、「フッ」「シュ」「ドゥ」といった、乾いた鋭い音で発音され
ます。
短い子音を強く発音する英語の音の幅は、2000Hz〜16000Hz、母音の多い日本語は125Hz〜1500Hz近辺です。
即ち、英語の場合はソプラノ以上のキンキン声の2000Hz以上の周波数の音声に言葉としての意味があり、日本語は1500Hz以下の周波数の音声に言葉としての意味がある事になります。
この様な事で、日本語と英語の間には言語として音の音域には大きな溝が有ります。
言いかえれば、日本人は低音で発音し、英国人は高音で発音するようなものです。これでは、日本人が容易に英語を発音したり、聞きとったりできません。
英語ばかりでなく、世界には数多くの言語がありますが、各民族の話す言語にはそれぞれ固有の周波数帯(音域)が存在します。
ロシア語は125〜8000Hzという広い周波数帯を使っているとさせています。
ロシア人は外国語に堪能になる素質があるそうです。 実際、ロシア語を話す人達の中には、数か国語をマスターした人達が数多くいます。
中国語の周波数帯はアメリカ英語に比較的類似しており、その点では中国人の方が日本人より英語の上達が早いと思われます。
本来、人間はどんな周波数の音でも認識するのに必要な種類の細胞をすべて持って生まれてきますが、残念ながら、誕生後2年位までの間に頻繁に耳にする言語の周波数帯に反応する細胞を残して、他はすべて消滅してしまいます。
幼児期に死滅してしまった細胞が復活することは残念ながらありませんが、その後でも訓練を重ねることにより、別の種類の神経ネットワークが形成され、そのネットワークが死滅した細胞を担うはずであった機能を代替してくれます。
外国語の発音能力と聞き取り能力向上のためには、まずは聞き取り訓練を長時間かけて繰り返し行い、新たなネットワークを形成させて、聞き取り訓練と正しい発音を強化していく事がとても大切です。
また、前述したように、クラシック音楽には英語の高い周波数の音とよく似た音が沢山含まれていることが分かっており、モーツァルトなどを聞くと英語が上達するかもしれません。
日本人も生まれつき2000HZ以上の言葉を聞き取りにくいのかと言えば、そうではなく、先ほど述べたように年齢とともに必要のない高周波の音を聞き取れなくなってきます。
ですから、毎日、歯を食いしばって忍耐で英語を聞き続けるのは、かなり苦しい作業になります。
この周波数の問題を克服することによって英語学習、特にリスニングは、負担をかなり減らすことができるはずです。
英語の音声は,語音の特徴(子音,母音など)と韻律的特徴アクセン
ト,イントネーション,リズム,(ポーズ)に分けて捉えることができます。
言葉としてのリズム!
語学をマスターするのに忘れてはいけないのが音楽と同等「リズム」があります。
単語1つ1つにリズムがあるわけで、それが文章になれば当然、音楽の時に言う「リズム」です。
個々の発音はそのリズムを形作る基礎として非常に重要です。
いくらRやTHやLの発音が完璧にできても、リズムが捉えられなければ音楽と同等歌にも言葉にもならず意味が有りません。
たとえ片言を並べてなんとか意志疎通を図ろうというレベルであっても、まず単語自体を理解してもらえなければどうにもなりません。
そして単語を理解してもらうのは、発音の正確さで聞き取りの基礎としてという意味合いも含め、THなど日本語にない発音を認識する必要があります。
個々の発音はそのリズムを形作る基礎として非常に重要ですが、やはり、RやTHやLのリズムパターンに慣れてくると、飛躍的に聞き取り能力も向上するし、英文を覚えるのも格段に楽になってきます。
遠回りに思えても、まずは英語のリズムを初心者のうちから身体にたたき込むのが、結局は学習のスピードを向上することになります。
単語1つ1つにリズムがあるわけで、それが文章になれば当然、もっと複雑なリズムパターンが生まれてきます。
是非会話をする時、英語を聴くとき、は音域と共にこのリズムも意識してみてください。
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和楽器 太鼓 笛
2014.04.02 Wednesday
和楽器 和太鼓 笛
「和楽器」と聞きどんなイメージを思い浮かべるでしょうか。
祭りの笛や太鼓のあの音を思い浮かべただけで心躍る気がしますね。
太鼓や笛も立派な和楽器です。和楽器は私たちの生活に溶け込んでいて、実はいろいろな所で耳にしているのです。
そんな和楽器の魅力をひとりでも多くの皆さんに伝えたいとい思います。
洋楽器にはない独特の響き、楽器自体なるほどと思わせるぐらい芸術的で、美しい形状、そして、その仕組みにこめられた日本人の叡智があります。
そこで大切にしたのは楽器自体の製作です。ほとんど職人さんによる手づくり品で、とても高価なものもあり、琵琶や横笛の製作工程も驚くほど手が込んでいます。
もうひとつ演奏時に気を配って頂きたいのはその音色、少しでも「日本の音」を感じられるように演奏する事です。
情景を浮かべ、音符にない「間」を感じ、人の「息吹き」を感じさせるように演奏することを忘れてはいけません。
当り鉦の音、篠笛の音、お祭りの時にカンカン聴こえてくる金属の音や横笛の音は心を踊らしてくれる音なのです。
和楽器の持つ魅力は、いろいろとあります。和楽器に興味をもち、伝統芸能に触れてみようと思って頂ければ、これほど嬉しいことはありません。
日本の横笛には、雅楽で使われている龍笛、この笛から変化したと言われる能管、それに庶民の生活に最もなじみ深い篠笛があります。
横笛は古くから物語などに登場する日本人に馴染み深い楽器です。
たった1本の篠竹に穴を開けただけの単純な構造の横笛で、日本人の心を揺り動かし、繊細で味わい深い演奏ができ、深い感動を覚えます。
フルートと違い、指穴を直接指で押さえたり、音によっては半分押さえたり、又、指をずらせたりするところが有り、日本的な味わいのある音で演奏をする事が可能です。
習い始めて、数ケ月もすると、「わらべうた」や簡単な「童謡」が吹けるようになってきます。
微妙な味わいのある音となるとなかなか大変ですが、篠笛は同じ曲でも誰が吹いているのか分かるほど個性的に銘々違う音色になって聞こえます。
篠笛の名曲を聴きていると、益々篠笛の魅力、素晴らしさが分かってくるはずです。
篠笛の音色は細く柔らかく、日本人が伝えてきた、わび、さび、幽玄な境地といった、日本人独特な繊細な感情を託すのにうってつけの楽器です。
名人の吹く笛の音は、深く人生をみつめさせるほどの説得力があります。
音を伝える和邦人
http://shinobue-wako.neosailand.com/ しの笛サイト
自然の音そして和楽器 和太鼓、篠笛
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「和楽器」と聞きどんなイメージを思い浮かべるでしょうか。
祭りの笛や太鼓のあの音を思い浮かべただけで心躍る気がしますね。
太鼓や笛も立派な和楽器です。和楽器は私たちの生活に溶け込んでいて、実はいろいろな所で耳にしているのです。
そんな和楽器の魅力をひとりでも多くの皆さんに伝えたいとい思います。
洋楽器にはない独特の響き、楽器自体なるほどと思わせるぐらい芸術的で、美しい形状、そして、その仕組みにこめられた日本人の叡智があります。
そこで大切にしたのは楽器自体の製作です。ほとんど職人さんによる手づくり品で、とても高価なものもあり、琵琶や横笛の製作工程も驚くほど手が込んでいます。
もうひとつ演奏時に気を配って頂きたいのはその音色、少しでも「日本の音」を感じられるように演奏する事です。
情景を浮かべ、音符にない「間」を感じ、人の「息吹き」を感じさせるように演奏することを忘れてはいけません。
当り鉦の音、篠笛の音、お祭りの時にカンカン聴こえてくる金属の音や横笛の音は心を踊らしてくれる音なのです。
和楽器の持つ魅力は、いろいろとあります。和楽器に興味をもち、伝統芸能に触れてみようと思って頂ければ、これほど嬉しいことはありません。
日本の横笛には、雅楽で使われている龍笛、この笛から変化したと言われる能管、それに庶民の生活に最もなじみ深い篠笛があります。
横笛は古くから物語などに登場する日本人に馴染み深い楽器です。
たった1本の篠竹に穴を開けただけの単純な構造の横笛で、日本人の心を揺り動かし、繊細で味わい深い演奏ができ、深い感動を覚えます。
フルートと違い、指穴を直接指で押さえたり、音によっては半分押さえたり、又、指をずらせたりするところが有り、日本的な味わいのある音で演奏をする事が可能です。
習い始めて、数ケ月もすると、「わらべうた」や簡単な「童謡」が吹けるようになってきます。
微妙な味わいのある音となるとなかなか大変ですが、篠笛は同じ曲でも誰が吹いているのか分かるほど個性的に銘々違う音色になって聞こえます。
篠笛の名曲を聴きていると、益々篠笛の魅力、素晴らしさが分かってくるはずです。
篠笛の音色は細く柔らかく、日本人が伝えてきた、わび、さび、幽玄な境地といった、日本人独特な繊細な感情を託すのにうってつけの楽器です。
名人の吹く笛の音は、深く人生をみつめさせるほどの説得力があります。
音を伝える和邦人
http://shinobue-wako.neosailand.com/ しの笛サイト
自然の音そして和楽器 和太鼓、篠笛
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